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第29章揺るぎない台時代をさかのぼって、キリストの最初の降臨の宣言の事は私に示された。 イエスのやって来る事に備えるため、ヨハネはエリヤの霊と力で送られた。 ヨハネの証しを拒んだ人たちはイエスの教えの恩恵を受けなかった。 最初の降臨の宣言に反対した事によって彼らは自ら、一番有力な証拠があっても、イエスが救世主である事を容易に受け入れられない立場に立たせられてしまった。 ヨハネのメッセージを拒んだ人たちは更にサタンに導かれ、イエスを拒み、十字架につけるように至った。 こうして彼らは自ら、天国の聖所への道を教えてくれる五旬節の日の恩恵が受け入れられない立場に立たせられた。 宮の幕が裂けた事で、ユダヤ教の制度やいけにえはもう受け入れられる事はない、と示された。 大いなるいけにえはささげられ、受け入れられた。 五旬節の日に降りて来た聖霊は、地上の聖所から天国の聖所へと弟子たちの注意を向けるよう導いた。 そこにイエスは自分の血を持ち込んで、そして自分のあがないの恩恵を弟子たちに与えた。 ユダヤ人はまんまとだまされ、真っ暗やみに残された。 救いの計画に当たる光、その得られる分の光を全部見失って、まだ無駄ないけにえやささげものを信用し続けた。 だから彼らは、聖所の第一の部屋で行なわれるキリストの仲裁の恩恵を味わう事ができなかった。 天国の聖所が地上の聖所に代わっても、彼らは天国の聖所への道が全く分からなかった。 ユダヤ人がイエスを拒んだり、十字架につけたりした事を考えると、ぎょっとする人は多い。 その恥ずべき虐待の話を読むと、「私はキリストを愛している。 自分なら、ペテロのように否定はしなかっただろうし、ユダヤ人がキリストを十字架につけたような事はしなかっただろう」と彼らは考える。 しかし神様は、自分の息子に「同情している」と言っている人たちを見て、彼らを試し、口で言うイエスに対する「愛」を確かめている。 天国にいる者は皆、メッセージが受け入られるかどうか、興味津々に見た。 でも口で「イエスを愛している」と言い、十字架の話を読むと涙を流す人の多くは、メッセージを喜んで受け入れるどころか、憤慨し、イエスのやって来る良い知らせをあざけったりして、「あれは妄想に決まっている」と断言する。 彼らは、イエスの現れを心から期待した人たちを嫌って、仲間外れにし、各教会から締め出した。 最初のメッセージを拒んだ人は、第二のメッセージの恩恵が味わえなかった。 そして信仰上、イエスと一緒に天国の聖所の一番聖なる部屋に入るための準備を整えてくれる「真夜中の叫び」の恩恵も味わえなかった。 また、先の二つのメッセージを拒んだので、至聖所への道を示している第三の天使のメッセージにある光が見出せない。 名ばかりの教会は、ユダヤ人がイエスをはりつけたように、これらのメッセージをはりつけにした事を私は見た。 だから彼らは、天国で行なわれた移動や至聖所への道が分からない上、イエスがそこでしている仲裁の恩恵が味わえない。 ユダヤ人が無駄ないけにえをささげたように、彼らはイエスが去った聖所の部屋の方に無駄な祈りをささげる。 「イエスに従っている」と自称する人がだまされ、わなに掛かっているので、サタンは喜んでそのわなをしっかりと締める。 彼は宗教的な様子を装い、この「クリスチャン」と自称している人たちの注意を自分の方に向けさせ、力、しるし、や不思議な偽りを見せて働く。 ある人をある方法でだまし、他の人を違う方法でだます。 彼はそれぞれの考え方に合う惑わしを作って、仕掛けてくる。 ある惑わしに対してぎょっとしても、別の惑わしを容易に受け入れる人がいる。 サタンは、ある人たちを交霊術で惑わす。 また、光の天使のふりをしながら、やって来て、影響を地に広げる。 至る所に偽りの改革が起こっているのを私は見た。 各教会は、「神様は我々のために素晴らしい事をしている!」と意気揚々に受け取ったが、本当は、これが違う霊のしわざだった。 こんなものは次第に消え、世と教会を以前より悪い状態に残してしまう。 名ばかりのアドベンチストや堕落してしまった各教会の中に、神様の正直な子供たちがいる事を私は見た。 そして、災害が注がれる前に、牧師たちや一般の人はこれらの教会から呼び出され、真理を喜んで受け入れる事も私は見た。 サタンはこの事を知っているので、第三の天使の大きな叫びの前に真理を拒んだ人たちが、「神様は我々と共にいる」と思い込むように、このような宗教団体の間に大騒ぎを引き起こす。 正直な者を惑わして、「神様はまだ各教会のために働いている」と思わせるのがサタンの狙いである。 しかし、光は照らして、正直な者は皆、堕落してしまった各教会から出て来て、少数残っている人たちと一緒に立つ事になる。
マタイ3章、使徒行伝2章、テサロニケ第二2:9-12、コリント第二11:14、黙示録14:6-12を参照(C)著作権2001年。コピーは自由。 Copyright 2001. Free to copy. |