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第21章教会と世間の結合現代の教会はもう、迫害の炎を味わった時代の特有な(世間から)離れた教会ではない。 その金のくすみ様は! 何と変わり果てたものだ! もし教会がずっと特有な聖なる質を保っていたら、弟子たちに与えられた聖霊の力が今でも彼女にあって働く、という事を私は見た。 病人はいやされ、悪魔たちは叱られて追い出される。 そんな教会は非常に強く、敵にとって恐ろしい教会となる。 自分は「クリスチャンだ」と非常に多くの人は言うが、神様は彼らを自分のものと認めていない事を私は見た。 神様は彼らを喜ばない。 人々が自分はクリスチャンであると思い込むなら、宗教を装っているサタンは大変喜ぶ。 彼らがイエスのこととイエスのはりつけや復活のことを信じても、サタンは大変喜ぶ。 サタンと彼の天使たちもこれらを全部信じ、震えた。 でもこういうような信仰は良い行動を生み出さず、「信仰がある」と言ってもイエスの自制のある人生を真似する程に至る信仰でないなら、サタンは気にしない。 なぜなら、彼らはただ「クリスチャン」という名前を受けただけで、心はまだ世俗的なままである。 だからサタンは彼らを「クリスチャン」と呼ばれていない人よりうまく利用できる。 彼らは「クリスチャン」という名前を使って、自分の心のゆがみを隠している。 清められていない性質やまだ克服していない悪い感情のままでやっていく。 そこで不信者はこれらの欠点をイエス・キリストの顔にぶつけたり、非難したりする。 その上、これで本当の純粋な信仰を持つ人に悪評をかぶせる機会が与えられる。 この世的な口ばかりの「信者」に合わせ、牧師たちは口先のうまい事しか教えない。 これはまさにサタンの思うつぼである。 その牧師たちには、イエスや聖書の鋭い真理をあえて教えるほどの勇気がない。 もし教えようとしても、この世的な口ばかりの「信者」は聞いてくれない。 たとえ彼らがサタンや彼の天使たち同様で、教会にふさわしくなくても、その多くは金持ちだから教会に入れておかないといけない。 イエスの宗教は人気で、尊敬すべきなものだと世の人に見せ掛ける。 人々は宗教を持てば、世間から尊敬されると教えられている。 こんな教えはイエスの教えとは全く掛け離れている。 イエスの教えと世とは平和でいられなかった。 イエスに従った人たちは世を捨てなければならなかった。 この口先のうまい教えはサタンと彼の天使たちによって作られた。 彼らがその計画を立て、そして口ばかりの「クリスチャン」たちはそれを実行してきた。 偽善者や罪人が教会に加わる。 面白い作り話は教えられ、快く受け入れられている。 しかし、もし真理が純粋のままで教えられたら、偽善者や罪人たちはその真理ですぐさま締め出される。 でも、「イエスに従っている」と自称している人たちは一般の世の人々とはなんら変わりがない。 もし教会員がかぶっている仮面を引きはがす事ができたとしたら、そこには腐敗と汚れ、邪悪が現れる。 神様を信じ、遠慮深い性格の人でさえそれを見れば、ためらわないで彼らのことを、「悪魔を父親とする子供たちだ」というふさわしい名前で彼らを呼ぶ事になるのを私は見た。 彼らは悪魔の働きをやっているからそう呼ばれる。 イエスや天国の大勢は皆この光景を見て、うんざりした。 にもかかわらず、神様は教会のために大事な聖なるメッセージを持っていた。 もしこのメッセージが受け入れられたら教会の中に徹底的な改革が起こり、偽善者や罪人を追い出すような生きる証しが復活される上、教会は再び神様の好意を受ける事になる。
イザヤ30:8-21、ヤコブ2:19、黙示録3章を参照 |